菅直人と市川房枝

明日は民主党の代表選挙ということで、マスコミはここ数日その話題でもちきりです。私はさほど民主党の代表選挙に関心はありませんが、小沢一郎と菅直人という政治家個人には強い関心をもってきました。小沢氏についてはいずれ触れるとして、ここでは菅氏関連のことを述べておきます。

菅直人氏は市民運動から著名な政治家に成長した希少な存在ですが、政治へ関るきっかけになったのが、参院議員選挙で市川房枝(歴史的人物なので敬称略)の事務長を買って出たことでした。私は菅氏が選挙区とする武蔵野市にかつて住んでいたので、菅氏の若いときからの行動をよく覚えています。同氏の初出馬当時の私の記憶では、なにか元市川房枝事務長というのが、大衆迎合的な臭いを感じて嫌でした。というのも、私は世評に反して市川房枝という人物を好きではなかったからです。

市川房枝という人は、ポピュラーな山川出版の高校教科書『詳説日本史』にも載っているほど歴史的には有名な女性活動家で、大正9年に平塚らいてうと新婦人協会を設立し、また戦後は婦人有権者同盟会長として活躍したことで知られています。しかし、実は戦中期には国民精神総動員委員会幹事を務め、また大政翼賛会の下部組織である大日本言論報国会理事も務めており、その関係で戦後は昭和22年から25年まで公職追放にあっていました。つまり彼女の戦後の社会党・共産党に近い革新派のスタンスは、再転向であったのです。それが好きになれない一番目の理由です。

第二には、彼女の政治的リアリティのなさ、が嫌いでした。「理想選挙」を掲げる彼女がお金をかけずに当選できたのは、有名人だったからで、それゆえマスコミが好意的に取り上げてくれたからです。その情報量を広告費に換算したら、莫大な額にのぼるでしょう。しかし、市井の人間が法定選挙費用内でまじめに選挙を戦っても、ポスター代や街宣車代、供託金、人件費とそれなりに費用はかかるものです。つまり、市川房枝のやり方は普通の人には全く真似ができないやり方なのです。なのに、何かお金をかけないでも選挙ができるという幻想をふりまいていしまったのです。その結果、お金のかからない制度の設計を日本の政治は長い間なおざりにしてきました。社会学者の橋爪大三郎氏も、市川房枝と青島幸男氏の二人が幻想をふりまいた張本人と指摘し、さらには「腐敗を食い止めたいのであれば、『金をかけなくても政治はできる』などとリアリティのない主張をするのではなく、むしろその逆に、政治には必ずお金がかかるという現実を直視することから始めなければいけません」(橋爪大三郎『政治の教室』PHP新書)と書いていますが、全く同感です。

さて、このような人物をかつて担いだ菅直人という人は、その後リアリティをもった政治家として成長をとげたでしょうか。

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