Monthly Archives: April 2006

伏見桃山陵と乃木神社

先週の火曜日(3月28日)、京都に行った機会に、明治天皇の陵墓である伏見の桃山御陵を参拝してきました。想像した以上に敷地は広大で、上円下方形の陵墓自体も巨大なものでした。敷地内では車が二台ほど通り過ぎただけで、歩いている人には全く出会いませんでした。ここは秀吉の桃山城本丸跡地だそうです。なお、敷地内の東には昭憲皇太后(明治天皇の皇后)の陵墓もあります。 また敷地に隣接して、明治天皇に殉死した乃木希典大将を祭った乃木神社があります。乃木神社といえば六本木と思っていましたが、こちらは篤志家によって大正5(1916)年に創設され、乃木さんの少年時代の家や、日露戦争時の第三軍司令部の建物などが移築されています。境内にあった乃木さんの生涯を説明したパネルに、乃木さんは子供の頃は泣き虫で、裁縫が得意だった、というのは意外でした。

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楠正成の子孫?

あなたは南朝の忠臣、楠正成の子孫か、と訊ねられることがあります。そんなときには、「どうですかね」と適当に答えることが多いのですが、実のところ自分でもよく分かりません。ただ、家紋は楠正成の「菊水」です。私の専攻は日本近代史ですから、学問的に古い時代を考証する能力はありませんが、このブログは一応「政治と歴史」をうたっているので、多少史料に基づいてわが家系をご紹介しましょう。 私の祖父は岐阜県揖斐郡大野町にある浄土真宗の寺、香焼寺の次男として生まれました。寺の16代住職となった祖父の兄は、仏教大学教授や台北高等学校教授などを務めた西蔵学(チベット学)の研究者でもありました。その住職が編纂した寺の沿革『香焼寺沿革史』(昭和12年)によれば、?楠正成から数えて7代目が南朝挙兵に失敗し、吉野から越前(福井)に逃れた。?9代目はさらに越前から美濃(岐阜)に移って来て、既に天台宗の寺として存在していた香焼寺の住職となった。このとき浄土真宗に改宗した。それは文明6年(1474)年、応仁の乱の頃であるという。?したがって、祖父の兄が寺(真宗になってから)の16代目だから、正成からは24代目ということで、私までを強引に数えるなら、私は26代目ということになる。 でも、途中、正成の曾孫あたりから三代ほど名前不詳であるし、また寺でも祖父の代までに三度ほど養子を迎えているから、血縁的にはつながっていないのです。そのようなわけで、あらためて、「万世一系」の皇室の歴史には驚嘆します。なお、同著にも「楠木正成」とありますが、ものの本によれば、正成から何代目かから「楠木」から「木」が外れたそうです。

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